シリコンバレー奮戦記(独立苦難)

Aki Machida

会社の肩書が無くなると、普通の人に堕ちてしまいます。独立するときは収入源を確保しておいてから始めましょう。


世の中転職の広告だらけですね。皆さんそんなに今の会社が嫌なんでしょうか?それならむしろ定年の無い副業を始めることをお勧めします。私は2000年にUSへの本社出向が決まった時点で、購入5年目のマンションを会社の借り上げではなく、外部業者を通して貸し出しました。まあ、最初の頃は夜逃げされたり、長期契約では賃貸地獄に嵌まったり、辛い局面もありましたが毎年日本に来て青色申告をしてましたから、金融リテラシーというかファイナンシャル・センスが鍛えられたと思います。それまで、会社に年末調整を任せていたボケ人間が卒業できたことはその後の財テクの肥やしとなりました。


と、偉そうなことを述べてしまいましたけれど、前号で紹介したように、フジフイルムのオープンイノベーション活動中止は突然やって来たのです。私は現地採用なので、法律上はシリコンバレーの子会社の従業員でした。運営費や給料はすべて本社からの予算で賄われていたのです。しかし、あるあるの日本での担当取締役の3月年度末退任が決まった9月の時点で、オープンイノベーションが遅かれ早かれ中止になることを知ったシリコンバレーの子会社の社長の英断と独断により、私は映画のひとコマのように解雇されることとなりました。せめて3月で終わりを想定していた私にとっては青天の霹靂となったのです。


解雇そのものはNANOSYSに次いで2回目です。免職ではないので、Severanceという退職パッケージ(勤続年数に応じた退職金)が数週間分だけもらえます。また、失業保険のやり方も、失業保険金が使えるDebitカードも持ってましたので、気を取り直せば、独立の心構えはできていました。


多少、就活もして、もがいてみました。でも65歳を雇う企業なんてありませんし、表題のように、フジフイルムの町田さんから、タダの町田さんに堕ちてしまってますから、いい返事などあるはずもありません。実はHP・アジレント・マイクロンと続いたアメリカ生活の途中でグリーンカードもサポートしてもらい、マイクロンでブラックな待遇に嫌気をさして、スタートアップに移ったとき、この「ただの町田さん」を経験済みでした。ましてや、もう人に使われるのも懲りてきましたから、LLCの設立に動いたわけです。


LLCの設立には LegalZoomとZenBusinessを紹介いただきまして、結局後者を選びました。BusinessAccountはよくわからないまま、BankOfAmericaになりました。本当は自分の取引銀行のほうが良かったのではと思っています。


ニュースレターはネットワークを維持する観点から重要ということがフジフイルムのオープンイノベーション時代に体得していましたから、多少のギクシャクはありましたものの、MailChimpにアカウントを作って運営しています。


価値観の中で、ネットワーキングは本当に重要です。私の大好きなラクネストは個人企業では入れないので、LLCとしてオープンスペースの契約ができるPlugAndPlayに安価なメンバーとなり、各種イベントやクライアントの会議に使わせていただいてます。

起業に関しては、気持ちの持ちように関して次のようなステージがあると言われています。

実行実践が基本ですから、「勇気、やる気、本気、元気、活気」が重要です。夢を持って目的を明確にして計画を立てて実直に進めというわけです。


そこで、同僚の駐在さんが苦労していたのを見て、ここにコンサルタントとしてサービスを提供すれば感謝されて報酬も得られるだろうと、甘く考えてスタートしました。ところが実際は、いつまで経ってもまともな収入源が確立できません。


失業保険も限度があるので、BLOGにあるようにUBERを始めたのはそうした困窮を脱する手段でした。

皆さんも早いうちから副業するなどして、メインの収入がなくなっても、うろたえないようにある程度の収入、できれば不労所得を確保するのが良いと思います。


これはちょっとしたピボットでしたし、本来の姿ではないと顧りみて、コンサルタントの種を見つけるべく、自分の専門分野と合う展示会やイベントに行きまくりました。


これが失敗してもへこたれない、「負けん気と根気」です。「粘り気」もありました。

「前向き」は気じゃないものの、捨てられないキーワードです。ただ初年度は持ち出しが多く、Uber収入だけでは限界が見えていました。


実は後から分かったこととして、かなりの駐在さんはそれがペインポイントではないということでした。ペインは毎日のようにセットされる日本との会議ばかりで、家族に足を引っ張られ、案件を投げても本国では受け取ってもらえず、上が変われば一から出直し、3年後には辞令で帰国する仕組みにあったのです。ですから下がるモチベーションをリセットするために週末は思いっきり晴れのカルフォルニアを満喫していたのでした。


ということで、独立1年目後半からは駐在さんのサポートは止めて、自分本来の強い分野であるセンサーやディスプレー関連に絞って、自分の強みであるプロダクトマーケティング力が発揮できる案件、すなわち相思相愛の企業との業務提携だけに手を出すことにしました。焦りの原因は下の娘が大学院に行くと言い出したためです。渡りに船とはこのことで、ボストンのスタートアップの社長をすることになったPRYSM時代の上司が声をかけてくれたのです。まさにネットワークのおかげです。このブログを書いている時点で独立2年目が終りを迎えています。そこそこの収入も上がってきて、自己投資も出来るようになったというわけです。


今後は、人と組むことにもなると思います。その時は、「和気、覇気」が必要で、チームを「その気」させる「熱気」をいつも心がけなくてはいけません。空回りしないように、誠実な運営が基本でしょう。


アメリカの日曜大工センターである HomeDepotにはこんな写真が従業員控室の入口にありました。どんなに偉くなってもお客様を、従業員を支えている感度が必要ですね。


ということで、まだまだしばらくは皆さんのお世話になることとなります。


引き続きご愛顧の程よろしくお願い致します。


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